80年代アイドルの昔と今!気になるあの子の現在が知りたい!

松本伊代 ―1965年生まれ

現在はバラエティ番組や情報番組で、ママタレントとして活躍する松本伊代。幅広い年代でその知名度は抜群ですよね。知っている方は少ないかもしれませんが、実はデビューはアイドル歌手でした。1981年に『センチメンタル・ジャーニー』でデビューし、そのままトップアイドルの仲間入りを果たします。その人気を示すように、数々の功績を獲得。アイドルとしての地位を確立した後、女優としても才能を存分に発揮しています。

岩崎良美 ―1961年生まれ

岩崎良美は現在でも音楽活動を行っており、コンサートや音楽制作に忙しい日々を送っているようです。そんな彼女は1980年に『赤と黒』でデビュー。『涼風』や『青春』など岩崎良美ファンなら忘れることはできない名曲を抱えながら、『タッチ』という絶大な知名度の楽曲も持っています。『タッチ』は老若男女に愛される名曲ですね。デビューの10年後、1990年頃から女優としても活動していましたが、性に合わなかったのか結局歌手としての道を選んでいます。

堀ちえみ ―1967年生まれ

堀ちえみは現在タレントや女優として活躍しています。一時期は口腔がんの療養のために休養していましたが、2020年に芸能活動を再開。療養期間中は自身の愛する7人の子ども達の存在が、前を向く力になったとコメントしています。立派なお母さんのイメージを持ちますが、デビューは1982年のアイドル全盛期です。ライバルが多いなか『リ・ボ・ン』などのヒット曲に恵まれたことで“花の82年組”に名を連ねることになりました。

松本明子 ―1966年生まれ

松本明子は現在タレントとして、お昼の人気ニュースバラエティ『ヒルナンデス!』や『秘密のケンミンSHOW』などに出演しています。アイドル時代からラジオ番組のパーソナリティなどを務めていたことからも、タレントとしての活躍は必然だったのかもしれません。当時は“バラドル”の相性でお茶の間に親しまれていました。そんな彼女ですが、実は女優としても少し活動していたのをご存じでしょうか?代表的なのは『花子とアン』です。

三田寛子 ―1966年生まれ

三田寛子は現在結婚して3児の母です。結婚相手は歌舞伎役者の中村橋之助。いわゆる“梨園の妻”として家庭を支えています。彼女のデビューは1980年、およそ40年前。雑誌『セブンティーン』のモデル合格がきっかけです。その翌年にはドラマデビューを果たし、また翌年には『駆けてきた処女』で歌手デビューも果たします。しかし女優としてのイメージが強い人の方が多いでしょう。現在もサスペンスドラマで活躍しているようです。

早見優 ―1966年生まれ

現在は結婚して2児の母となった早見優。1982年にデビューし、“花の82年組”に名を連ねる一人です。デビューから1年後、1983年にリリースした『夏色ナンシー』はテレビCMに起用されたことでヒットしました。そんな彼女ですが、実は英語が堪能なアイドルとしても知られます。特に勉強したわけではなく、ハワイ&グアムで育ったから英語はネイティブ並みなんだとか。しかし両親は共に日本人のため、帰国子女ということになりそうです。

磯野貴理子 ―1964年生まれ

磯野貴理子と言えば女性タレントという認識の人が多いのではないでしょうか?現在では特に『ホンマでっか⁉TV』や『行列のできる法律相談所』への出演が印象的ですね。しかし彼女のデビューはお笑いアイドルグループ『チャイルズ』のメンバーでした。チャイルズは80年代後半に活躍し、『笑っていいとも!』の青年隊だったこともあります。1992年に解散してしまいますが、バラエティの才能を開花させてタレントとして活躍中です。

相原勇 ―1967年生まれ

相原勇は現在ハワイ在住の男性と結婚し、そのままハワイを拠点として生活しています。芸能界を引退したわけではないため、時折バラエティ番組に出演しているようです。そんな彼女のデビューは1985年。第1回ミス・モモコクラブで準グランプリを獲得して上京したのがきっかけです。念願のアイドルデビューを果たした後、3年間ミュージカル『ピーター・パン』で主役を演じるなど、幼い頃からの夢を叶えた努力家でもあります。

山瀬まみ ―1969年生まれ

山瀬まみはタレントとして現役でバラエティ番組などに出演しています。特に有名なのは『新婚さんいらっしゃい!』や『火曜サプライズ』などでしょう。実は彼女がアイドルとして活動していたことを知る人は少ないかもしれません。『メロンのためいき』でデビューしたものの、あまりヒット曲に恵まれず、徐々にバラエティへと転向していきました。その後は持ち前の独特なボイスと共に才能を開花し、お茶の場を賑わせ続けています。

井森美幸 ―1968年生まれ

井森美幸はデビュー30年以上経った現在も現役タレントとして活躍しています。群馬県の『ぐんま大使』であることは有名で、地域活性化に貢献するべく活動中です。人気バラエティ番組『秘密のケンミンSHOW』にも度々出演していますね。デビュー当時は「井森美幸16歳、まだ誰のものでもありません」というキャッチコピーを掲げていましたが、デビュー30年以上経った今でもこのキャッチコピーを使うとは思っていなかったでしょう。

森口博子 ―1968年生まれ

森口博子は現在もバラドルとして数々のバラエティ番組に出演しています。そんな彼女のデビューは1985年に放送されていた、アニメ『機動戦士ガンダムZ』の主題歌『水の星へ愛を込めて』です。森口博子ファンだけでなく、アニメファンにも思い出深い曲ではないでしょうか?バラドルとして人気バラエティ『笑っていいとも!』のレギュラーを8年間務めましたが、その際母校の先輩タモリのことを兄のような存在とコメントしています。

工藤静香 ―1970年生まれ

工藤静香は今でこそ元SMAP木村拓哉の妻である方が有名になっていますが、元々は80年代のアイドルシーンを席巻したおニャン子クラブのメンバーであり、ソロでも活躍していた売れっ子アイドルです。『MUGO・ん…色っぽい』『恋一夜』などヒット曲を連発すると共に、ドラマや映画で女優としても才能を発揮しました。最近では自身の娘たちも芸能界デビューを果たしています。代わりに工藤静香本人の露出は少なくなっています。

斉藤由貴 ―1966年生まれ

斉藤由貴は女優として今も現役で活躍しています。最近ではドラマ『カンナさーん!』や映画『最初の晩餐』に出演するほか、長澤まさみとのW主演で『紫式部ダイアリー』に出演するなど、舞台への参加も積極的です。女優として成功している彼女も、元はアイドル歌手としてデビューしました。しかしデビューの翌年に『スケバン刑事』で主演を果たし、瞬く間に一世を風靡しましたよね。それからは女優業をメインとして活動しているようです。

大西結花 ―1968年生まれ

大西結花は2012年に17歳年下の男性と結婚し、ファン達を驚かせたことが記憶に新しいですね。彼女は80年代にアイドル歌手・女優として活躍しました。世間が広く彼女を知るきっかけになったのは、ドラマ『スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇』でしょう。浅香唯の姉役を演じきったことで知名度を上げていきます。その後も時代劇やサスペンスドラマを中心に活躍し、女優としての活躍の幅を広げていきました。今でも根強いファンがいる80年代アイドルです。

芳本美代子 ―1969年生まれ

芳本美代子は現在女優として活躍しています。デビュー当時はアイドル歌手でしたが、時代はアイドル戦国時代。数多くのライバル達を前に苦戦を強いられます。しかし幸運なことに1990年の舞台『阿国』で演劇新人賞を受賞し、女優としての道を進むことに。それからは今までに数多くのドラマや映画で活躍していきます。最近では『コンフィデンスマンJP -ロマンス編-』や『地味にスゴイ! 校閲ガール・河野悦子』に出演していました。

本田美奈子 ―1967年生まれ

本田美奈子は2005年に白血病との合併症で、38歳という若さながらこの世を去ってしまいました。彼女の持つ歌声は、80年代アイドルの中でも奇跡と呼ばれるほど。今でもその美しい歌声は、多くの人の心を癒しています。『1986年のマリリン』や『Temptation(誘惑)』などは、ヒット作として特に有名です。しかし彼女の芸能人生の中でも、一際目立っていたのはミュージカルでの活躍でしょう。『ミス・サイゴン』や『レ・ミゼラブル』は彼女が誇る代表作と言えます。

佐野量子 ―1968年生まれ

佐野量子は現在JRA騎手の武豊と結婚して一般社会で暮らしています。既に芸能界を引退していますが、結婚がきっかけではありません。実は結婚する前に芸能界は引退していました。芸能活動は短く感じるものの、芸能界入りは夢だったようです。高校生の時に自分で養成所に行くことを決断。見事努力が実り、1984年に『気分は名探偵』で女優デビューを果たしました。翌年には歌手、その後はバラドルなど順風満帆だったようです。

河合その子 ―1965年生まれ

河合その子は作曲家の後藤次利と結婚して、1児の母になりました。おニャン子クラブでも売れっ子の一人だったため、世間への衝撃は大きかったでしょう。当時はそのまま引退かと思われていましたが、2000年にドラマ『多重人格探偵サイコ 雨宮一彦の帰還』に特別出演してテレビ復帰します。あまりメディアへの露出はないものの、2010年には資生堂の『IN&ON』のCMに出演していたため、芸能界を完全に引退したわけではないことが分かりました。

岩井由紀子 ―1968年生まれ

岩井由紀子は1997年に青年実業家と結婚し、芸能界を引退しました。現在は2児の母として忙しい毎日を送っています。元おニャン子クラブのメンバーであり、『ゆうゆ』の相性で親しまれていました。同グループの派生ユニット『うしろゆびさされ隊』も有名です。1987年にはソロ活動を行うものの、歌手としての成果は伸び悩み、思い切ってバラドルへと転向。彼女が出演していた代表的な番組には『クイズ!年の差なんて』などがあります。

高井麻巳子 ―1966年生まれ

高井麻巳子と言えば、おニャン子クラブやAKB48のプロデューサー秋元康の妻です。現在は結婚を機に芸能界を引退してしまっています。彼女自身おニャン子クラブの元メンバーであり、同グループの派生ユニット『うしろゆびさされ組』のメンバーでもありました。ユニット名にもなっているデビュー曲はアニメの主題化にも起用されたため知っている人も多いでしょう。その後はソロとして活動していましたが、1988年に結婚し引退しています。

吉沢秋絵 ―1968年生まれ

吉沢秋絵は1991年に芸能界を引退しています。その後しばらくの海外生活を経て、現在は日本に帰国しているようです。おニャン子クラブ時代、会員番号25番として人気を誇りながら、1985年には『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』でドラマデビューも果たします。結果おニャン子クラブよりも女優業の方が忙しくなってきたため、おニャン子クラブを卒業しました。卒業後はバラエティ番組への主演も積極的に行い、人気のタレントとなりましたね。

新田恵利 ―1968年生まれ

新田恵利は現在もタレントとして活動しながら、作家・エッセイストとしても活動しています。おニャン子クラブ在籍当時は会員番号4番としてしられ、『セーラー服を脱がさないで』ではグループ最前列で歌うなど、おニャン子クラブ元メンバーの中でも知名度が高い一人です。人気メンバーだったためすぐにソロデビューを果たしますが、1990年に一度芸能活動を休止。やがて3年後には女優として活動を再開する道を選択しました。

国生さゆり ―1966年生まれ

未だにテレビ出演が頻繁なおニャン子クラブのメンバーと言えば彼女、国生さゆりでしょう。現在でもドラマや映画に出演しているほか、バラエティ番組や情報番組でも見かけることがあります。最近では映画『一週間フレンズ。』やドラマ『スキャンダル専門弁護士 QUEEN』に出演していたのが記憶に新しいですね。彼女のソロデビュー曲『バレンタイン・キッス』はバレンタインの定番曲として、毎年必ずテレビなどで耳にする有名な楽曲です。

立見里歌 ―1965年生まれ

現在は1児の母として忙しい毎日を送りながら、無添加コスメのプロデュースも行っているという立見里歌。彼女がおニャン子クラブに入ったのは、東海大学のミスキャンパスになり、番組スタッフに声をかけられたのがきっかけでした。メンバーの中でもおバカキャラとして愛され、その地位を不動のものにしましたね。おニャン子クラブ卒業後は大手企業ポニーキャニオンに入社したのち、結婚を機に退社しています。

樹原亜紀 ―1969年生まれ

樹原亜紀は現在、外国人男性と結婚し2児の母となりました。当時はおニャン子クラブ内では高島忠夫のモノマネを武器に、お笑い担当ともいえる地位を確立。同グループの派生ユニット『ニャンギラス』でも人気を誇り、大きく活躍していました。しかし1985年のデビューからわずか2年でグループを卒業。去る背中を惜しまれながらも芸能界を引退しています。テレビでは見られなくなってしまいましたが、いつかメディアの前に姿を表してくれると良いですね!

名越美香 ―1966年生まれ

名越美香は既に芸能界から引退しており、香港に住んでいるのをご存知ですか?香港ではアカペラユニット「SHEEP」を組んでおり、YouTubeに動画をアップロードしているようです。芸能時代はおニャン子クラブのメンバーの一員であると共に、同グループの派生ユニット『ニャンギラス』のメンバーも務めていました。デビューの翌年には舞台女優としても才能を発揮しましたが、芸能界からは引退。後に香港人パイロットと結婚を発表しています。

白石麻子 ―1969年生まれ

白石麻子は1992年に結婚して4児の母です。ヨガインストラクターとしても活動しています。アイドル時代には、おニャン子クラブが解散するまでメンバーを務めあげました。同グループの派生ユニット『ニャンギラス』のメンバーとしてもグループを支え、国生さゆりの『バレンタイン・キッス』ではアンダーガールズを務めていたことでも知られます。グループ解散後は芸能界を引退。新たな人生を歩むべく短大に進学しました。

渡辺満里奈 ―1970年生まれ

2005年にお笑い芸人名倉潤と結婚したことは有名です。出産後はママタレントとして活動しながら2児の母でもあります。実は執筆活動も行っており、健康や趣味に関する本を出版していますが、あまり知られていないかもしれませんね。さらに、日本におけるピラティスの火付け役となった人物でもあります。アイドル時代はおニャン子クラブの中でも特に人気で、主力メンバーの一人でした。卒業後もカリスマ性は健在です。

生稲晃子 ―1968年生まれ

生稲晃子は自身の乳がん経験を経て啓発運動に取り組んでいる80年代アイドルです。おニャン子クラブでは会員番号40番として活躍。同グループの派生ユニット『うしろ髪ひかれ隊』のメンバーとしても活動していました。ちなみにおニャン子クラブへの加入は1年遅れです。おニャン子クラブ解散後はドラマや時代劇に出演するなど、女優業を精力的に行っていました。特にドラマ『キッズ・ウォー』『暴れん坊将軍』への出演は有名です。

斉藤満喜子 ―1970年生まれ

斉藤満喜子は既に芸能界を引退して新たな人生を歩んでいます。おニャン子クラブ在籍時は、メンバーの工藤静香・生稲晃子と共に、同グループの派生ユニット『うしろ髪ひかれ隊』のメンバーとしても活動していました。ユニットのレコード売り上げは好調で、メインであるおニャン子クラブ解散後もユニット自体の活動は継続されていました。ユニット休止後は、ソロ歌手・女優として活動し『すてきな片思い』などに出演しています。

中山忍 ―1973年生まれ

中山忍は現在でも女優として活動しています。彼女は女優・中山美穂の妹として知られますが、実は姉が芸能界入りのきっかけです。ある日姉である中山美穂の見送りに来ていたところを、芸能界関係者にスカウトされます。そしてそのまま芸能界デビュー。歌手活動なども行っていたようですが、主に女優をメインとしており、過去には映画『ゴジラvsメカゴジラ』など大作に出演。最近でも2019年に舞台で主演を務めあげています。

榊原郁恵 ―1959年生まれ

榊原郁恵は現在でもタレントとしてテレビに出演しています。元々はドラマや映画にも多数出演していましたが、渡辺徹と結婚&出産して以来、主にバラエティ番組や情報番組での活動が主になっているようです。彼女のデビューは第1回ホリプロタレントスカウトキャラバンでの優勝がきっかけでした。その後はCMや映画に次々と出演していき、アイドル活動も開始。瞬く間にスターアイドルへと駆け上っていきます。

石川秀美 ―1966年生まれ。

石川秀美は元しぶガキ隊の薬丸裕英と結婚し、出産を発表。そのまま芸能界を引退したことは有名です。結婚した年齢は彼女が23歳の時。これからという時期に引退してしまったため、ファンの間では衝撃が走りました。現在は子どもを海外で育てたいという思いから、次女とハワイで暮らしています。薬丸裕英が週末にハワイへと通ういわゆる週末婚ですが、おしどり夫婦としても有名なため夫婦仲は好調なのでしょう。

原田知世 ―1967年生まれ

原田知世は未だに人気を誇る現役女優です。最近でも有名なドラマに数々出演しており、ドラマ『あなたの番です』では田中圭演じる年下夫とのラブシーンで“可愛すぎる”と評判に。そんな原田知世はデビュー当時から日本アカデミー賞や名誉ある賞を受賞し、大型新人として瞬く間にトップ女優の仲間入りを果たします。1986年には自身が主演を務めた、映画『私をスキーに連れてって』でスキーブームを巻き起こしたのは伝説です。

工藤夕貴 ー1971年生まれ

日本の女優として、ハリウッド進出のパイオニアとも呼べる存在工藤夕貴。16歳頃からハリウッド女優の夢を掲げて果敢に挑戦。見事ハリウッド進出を決め、多数の海外作品に出演しました。ハリウッド以前はインスタントラーメンのCMで有名になり、その後映画でも主演を務めます。彼女の才能は日本では収まらなかったのかもしれません。現在は海外から帰国し、活動の場を日本へ。日本のドラマや映画にも再度出演するようになりました。

浅香唯 ―1969年生まれ

浅香唯は現在でも芸能活動を続けており、ラジオやバラエティ番組に出演しています。最近最も話題になったのはライザップのCMでしょう。たったの4か月で8.8㎏のダイエットに成功し、美しいボディラインを披露した姿が有名になりました。若い頃はアイドルや女優として忙しい毎日を送り“日本一忙しいアイドル”とも呼ばれていたそう。女優としての成功、ヒット曲の連発など業界からは引く手あまただったのかもしれませんね。

杉浦幸 ―1969年生まれ

杉浦幸は現在でも歌手活動を行うなど芸能活動を継続しています。その傍ら自身が厳選した犬グッズを扱うセレクトショップの経営など、マルチに活躍しているようです。また趣味の麻雀ではプロ資格を取得。女性雀士としても活躍しています。デビューはドラマ『ヤヌスの鏡』の主演。アイドル黄金期ながらブレイクしたのは、彼女のどことなく不安そうな切ない表情と、まだ抜けないあどけなさが世のファンを虜にしたためでしょう。

後藤久美子 ―1974年生まれ

1995年にF1レーサーのジャン・アレジと結婚し、3人の子どもを授かった後藤久美子。既に芸能界を引退しており、今後も女優復帰はないとしています。元祖国民的美少女としてしられ、ゴクミの相性で親しまれていました。デビュー以来女優として活躍し『寅さん』シリーズへの出演は特に有名です。2回目以降の国民的美少女コンテストは、元々『第二のゴクミを探せ!』という目的から始まったのですが、知る人は少ないかもしれません。

いとうまい子 ―1964年生まれ

いとうまい子は現在、予防医学としてのロボット研究や基礎老化学などを研究している「リケジョ女優」です。45歳の時に早稲田大学に進学し、現在は博士課程に在学中。彼女の芸能界デビューは『第1回ミスマガジン』でグランプリを受賞したことから始まります。アイドルとしてデビューしましたが、数多くのドラマにも出演しましたよね。『不良少女と呼ばれて』ではヒロイン役から一転不良少女役を演じて話題になっていました。

荻野目洋子 ―1968年生まれ

荻野目洋子は一時的に出産・育児に専念するため芸能活動を休止していましたが、2005年頃から活動を再開。現在も音楽イベントや音楽バラエティ番組などに出演しています。実は彼女の人気に火を点けたのは1983年放送のアニメ『みゆき』でした。ヒロインの声優に抜擢され、一躍人気者に。アニメ以降トップアイドルとして地位を確立していきます。最近は荻野目洋子の代表曲『ダンシング・ヒーロー』が再脚光を浴び、10代の若者の間でも話題です。

岡田有希子 ―1967年生まれ

岡田有希子は残念ながら18歳という若さでこの世を去っています。ポスト松田聖子と呼ばれるほどの人気アイドルだっただけに、ファンへの衝撃と悲しみは計り知れないものがありました。現在でも彼女の命日には多くのファンや業界関係者がお墓参りに訪れているそう。彼女はデビュー以来数々の新人賞を総なめにし、王道アイドルとして地位を確立していきます。しかし優しい性格の彼女には、芸能界の荒波がきつすぎたのかもしれません。

藍田美豊 ―1969年生まれ

現在は芸能界を引退している藍田美豊。「今どうしているの?」と気になる方も多いかもしれませんが、彼女はヨーロッパの古着を扱う移動式古着屋のオーナーとして、マルシェやカフェに出店しているようです。彼女は1984年にアイドルユニット『少女隊』のメンバーとしてデビューしました。当時はミホの相性で親しまれていました。15歳とは思えない大人っぽさと抜群のスタイルを武器に人気を獲得。ドラマ『夏・体験物語』で魅せた体当たりの演技は当時話題になりました。

安原麗子 ―1969年生まれ

少女隊のメンバーとして活躍した安原麗子は、現在吹き替えやアニメの声、ナレーションなどといった声優業で活躍しています。他にも舞台やライブなどの活動も行っているようです。少女隊時代に出演したCM『一心同体・少女隊』というセリフを覚えている人もいるでしょう。解散後はみんなバラバラの道に進んでいきます。1999年に1度再結成されましたが、残念なことに、その後は3人揃ってのメディア出演はありません。

市川三恵子 ―1969年生まれ

少女隊のメンバーとして活躍した市川三恵子。知る人ぞ知る隠れた人気アイドルですが、残念なことにデビューからわずか1年で引退してしまいます。その理由はなんと「椎間板ヘルニア」なんだとか。これからという時期だったため本人も悔しかったでしょう。彼女も参加している楽曲は『FOREVER〜ギンガムチェックstory〜』アルバム『少女隊Phoon』シングル『ESCAPE』ビデオ『少女隊Phoon』などです。1999年に再結成されたときは元気な姿を見ることができました。

引田智子 ―1972年生まれ

チーコの脱退後に新たな少女隊メンバーとして加わったのが引田智子です。現在は芸能界を既に引退し、化粧品販売会社ソシエテ・ル レーブを経営しています。当時はトモの相性で親しまれており、台湾や韓国など日本以外のアジア圏でも多くの人気を誇っていました。その証拠に1988年に開催されたソウル五輪では、大会イメージソングを歌った経験もあるほどです。ちなみに脱出マジックで有名な、初代引田天功の娘でもあります。

久留龍子 ―1964年生まれ

現在は衣笠りんという名義に変更して、タレント活動を継続している久留龍子。あまりメディアへは露出しませんが、活動は継続しているようです。元は女性お笑いアイドルグループ『チャイルズ』のメンバーでした。チャイルズは『劇団七曜日』のメンバーで結成された3人組で、2年間ほど『笑っていいとも!』の5代目いいとも青年隊として出演していたこともあります。グループは1992年に解散し、それぞれの道へと進んでいきます。

茂原裕子 ―1967年生まれ

茂原裕子は『劇団七曜日』の劇団員で結成された、女性お笑いアイドルグループ『チャイルズ』のメンバーの一人として知られます。2021年現在は既に芸能界を引退しており、メディアへの露出は全くありません。彼女が引退したのは、1992年のチャイルズ解散がきっかけです。短い芸能活動期間の中でも、いいとも青年隊としての活躍や、1988年に『恋は魚河岸のごとく』で歌手デビューするなどお茶の間を賑わせ続けましたので、今でも根強いファンがいます。

島崎和歌子 ―1973年生まれ

島崎和歌子は現在も強烈なキャラクターを売りにタレント業を継続しています。今でこそバラエティ番組が主ですが、デビュー当時は特撮ドラマ『魔法少女ちゅうかないぱねま!』で主役を演じるあどアイドルだけでなく、子供達からの人気も相当なものでした。バラエティへの出演は1991年TBS『オールスター感謝祭』の司会を務めたのがきっかけです。それ以降バラエティで活躍すると共に、美貌を活かした美容関係の仕事も増えています。

宮崎美子 ―1958年生まれ

宮崎美子はその美貌もさることながら、頭も良いことで有名になりました。当時の80年代アイドルとしては珍しい才色兼備ぶりを発揮。実際に『才色兼備の女子大生タレント』という新たなジャンルを確立させるほどでした。人気が出始めて以降、女優として数々のドラマや映画に出演していきます。さらに持ち前の博識ぶりを活かしてクイズ番組でも活躍。当時から現在まで『インテリ女優』の地位を自分のものにしています。

かとうれいこ ―1969年生まれ

当時から知っている人であれば、彼女のポスターをあらゆる飲食店やお店で見かけていたことでしょう。彼女は1990年にカーオーディオのキャンペーンガールになり、瞬く間にトップグラビアアイドルへと上り詰めます。数多くのイメージビデオ、写真集を発売しながら、テレビでもバラエティ・㎝・ドラマなどマルチに活躍していました。現在は結婚しお母さんになりましたが、娘も母の遺伝子を引き継いでかアイドルになったそうです。

西村知美 ―1970年生まれ

1980年代、天然キャラを売りにバラエティ番組でも活躍した西村知美。ほんわかしたキャラクターとは裏腹に、多数の資格を持つ努力家でもあります。知られているものでは、『オセロ検定1級』『漢方認定師』『保育ナチュラリスト』などが有名です。彼女のデビューは1985年の『第1回ミスモモコ』でグランプリを受賞したのがきっかけ。翌年には映画『ドン松五郎の生活』で女優デビューすると共に、主題歌も歌いました。

中村由真 ―1970年生まれ

『スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇』の主人公、風間三姉妹の次女役として覚えている人もいるでしょう。彼女は1986年のデビューから1年後ながら、この大役に大抜擢されました。ドラマが放送されれば、たちまちトップアイドルの仲間入りを果たします。現在、日本での女優活動は基本的に行っておらず、拠点も日本からロサンゼルスへと変更。あまりメディアに表れませんが、2019年にイベントで三姉妹が勢ぞろいして話題になりました。

酒井法子 ―1971年生まれ

カリスマ性のある人は自ら時代を築き上げていく人が多いものですが、彼女もその一人。1986年にデビューして以来自らを『のりピー』と呼称。『いただきマンモス』や『うれピー』など独自の言語である『のりピー語』を流行らせました。90年代以降は女優としても大活躍。『ひとつ屋根の下』や『星の金貨』などを覚えている人もいるのではないでしょうか?ちなみにドラマ主題歌でミリオンセラーも達成。あまりの人気に紅白にも出場しましたよね。

立花理佐 ―1971年生まれ

ロッテのCM女優で初代と言えば立花理佐です。1986年に開催された『第一回ロッテCMアイドルはキミだ!コンテスト』で見事優勝。アイスやお菓子など多くのロッテCMに出演しました。その後人気が出てドラマ『毎度おさがせしますⅢ』のヒロイン役に大抜擢。女優デビューも果たします。それ以降時代劇やサスペンスドラマを中心に活躍。現在は元モデルの松永信之と結婚し、男の子を育てる母親です。現在でも芸能事務所に所属し芸能活動をしているそうですよ。

石田ひかり ―1972年生まれ

石田ひかりは現在も女優としてコンスタントにテレビ出演しているため、馴染みのある顔だという人も多いのではないでしょうか?しかし彼女が元々アイドルだったことを知っている人は限られているかもしれません。1987年にアイドルデビューしたものの、時代が時代だったためかあまり注目されませんでした。ただ彼女には女優としての才能が隠れており、評価も高かったようです。徐々に『国民的女優』の地位を築いていきます。

森高千里 ―1969年生まれ

天は二物を与えずとはよく言ったものです。彼女は二物どころか三物を与えられたと言っても過言ではないでしょう。まずポカリスエット・イメージガールコンテストで優勝。女優としても活躍しながら、歌手としても成功しています。またアルバム『ミーハー』以降は作詞・ドラム・コーラスでも楽曲制作に携わるなど、次々と才能を発揮。歌えるアイドル歌手は多いものの、彼女はアーティストとして長年活躍し続けてきました。

鈴木早智子 ―1969年生まれ

平成初期に人気を集めたアイドルデュオ『Wink』を覚えていますか?数々の大ヒット曲を携え、一気に平成アイドルの代表格にまで上り詰めました。その人気を裏付けるように、当時は多くの女性が彼女らの振り付けを真似したり、カラオケで歌ったりしています。Winkは1996年に解散してしまいますが、鈴木早智子はその後もソロ歌手として活動しているようです。また、最近では舞台女優としても活躍し、ドラマや舞台などに出ているようですよ。

相田翔子 ―1970年生まれ

相田翔子は1988年に結成されたアイドルデュオ『Wink』の一人としてデビューしました。当時その独特なダンスと豪華な衣装が人気を博し、爆発的に平成アイドルとして地位を確立していきます。Winkの解散後、相田翔子は天然キャラを売りに、数々の番組に出演。現在でも可愛らしさは健在で、当時から変わらぬ人気を誇っています。2008年に結婚して長女を出産。現在も数々のテレビ番組に出演し、ママタレントになってもその人気は衰えていないようです。

田中律子 ―1971年生まれ

健康そうなルックスが特徴的な彼女。実際ダイビングやサーフィンなどを趣味にしているといいます。自然を楽しむスポーツだからか、それをきっかけに環境問題にも積極的に取り組んでいるようです。そんな彼女のデビューは12歳の時。モデルとしてスカウトされ芸能界デビューを果たします。その後女優としても活躍。90年代を代表するドラマ『愛しあってるかい!』などに出演していたのを、覚えている人も多いのではないでしょうか?

田村英里子 ―1973年生まれ

世界でも公開されたタイアップ制作アニメ『アイドル伝説えり子』を覚えていますか?主人公の名前が同名なだけでなく、多数の楽曲が使われたことで一躍トップアイドルになりました。その後自身も2000年に渡米。彼女は幼少期を海外で過ごした帰国子女のため、英語には抵抗がなかったのかもしれません。日本でも人気を誇るドラマに出演したことで、日本人女優としてさらに知名度を上げました。ちなみに島崎和歌子とは同期で親友だと言います。

宮前真樹 ―1973年生まれ

アイドル時代ショートカットがトレードマークだった宮前真樹。1989年、乙女塾から派生したアイドルグループ『CoCo』のメンバーとしてアイドルデビューします。1992年には人気ゲーム『ストリートファイターⅡ』のキャラクター春麗のテーマでソロデビュー。ジャケ写で春麗のコスプレ姿を披露するなど彼女のファンだけでなく、ゲームファンからも話題になりました。2004年に芸能界を引退し、現在は料理研究家として活躍しています。

羽田恵理香 ―1973年生まれ

ロシア連邦の初代大統領、エリツィン元大統領をビンタしたアイドルがいるのをご存じでしょうか?そんな体当たりの活躍を見せていたのが、アイドルグループ『CoCo』のメンバーとしてデビューした羽田恵里香です。1991年のグループ解散後、『電波少年 インターナショナル』で世界中の悪い人をハリセンで叩いていましたが、ヒヤヒヤしていた人も少なからずいるでしょう。現在は子育てをしながら舞台を中心に芸能活動を続けているようです。

大野幹代 ―1974年生まれ

「ゴクミ」を輩出した国民的美少女コンテストに出演し、一躍注目を集めた大野幹代。モデルとして活動を始め、1989年に放送された「パラダイスGoGo!!」で「乙女塾1期生」のメンバーとなりました。その後、番組内で結成された「CoCo」のメンバーとして活躍。メンバーの中では最年少かつ長身ということもあり一際目立っていました。そんな彼女も2002年に所属していた事務所の社長と結婚、翌年男児を出産し、それを機に活動を休止しています。

三浦理恵子 ―1973年生まれ

NHK朝の連続テレビ小説『あぐり』や『風のハルカ』などで女優としてのキャリアを築き上げた三浦理恵子。今はもう女優のイメージが強いですが、元々はアイドルグループ「CoCo」のメンバーであり、アイドルとして活躍していたことをご存知ですか?グループ解散後、女優・声優として活躍の幅を広げていきます。現在は女優業をメインに活動しており、幅広い役柄に対応できる実力派女優としてドラマなどに出演し続けているようです。

瀬野あづさ ―1973年生まれ

乙女塾の第二期生として芸能界デビューし、そこから派生したアイドルグループ「CoCo」のメンバーでもあった瀬野あづさ。彼女はメンバー内でも抜群の歌唱力を誇り、グループのセンターを務めていました。1992年にグループを脱退しますが、その後もソロ歌手として活躍。1996年に元プロ野球選手の石井琢朗と結婚したことを機会に芸能界を引退しています。しかし離婚と共に芸能界に復帰。『AZU』に改名して歌手活動を再開しています。

宮沢りえ ―1973年生まれ

宮沢りえの美しさは全盛期時代世間に光を与えました。1987年に三井のリハウスが放送したCMでリハウスガールを務めた彼女。その美しさに誰もが目を奪われます。人気絶頂期の18歳当時には、ふんどし風の姿で撮影したカレンダーを出したり、写真集に奇抜な仕掛けを施し話題になったりと、全国で度々大きな話題になっています。彼女のセンスは確かなもので、女優としても才能を発揮。現在でも存在感を出し続けています。

永作博美 ―1970年生まれ

現在でも新たなファンを獲得し続ける可愛らしさの持ち主永作博美。高校生の時に行われた『オールナイトフジ女子高生スペシャル』で入賞して芸能界入りを果たします。その後アイドルとして活躍。しかし美貌だけが彼女の取柄ではありませんでした。ずば抜けた演技力の持ち主で、多数のドラマや映画に出演。その実力は世間や業界からも評価され、『日本アカデミー最優秀助演女優賞』を始めとする数々の栄光を獲得しています。

松野有里巳 ―1973年生まれ

アイドルユニット『ribbon』のメンバーで、乙女塾の一期生としてデビューした彼女。1998年にミュージシャンの高橋剛と結婚し、それを機会に芸能界を引退しています。現在はスポーツインストラクターやエアロビクスインストラクターとして活躍しているようです。彼女は都内でもさまざまな場所から声がかかる人気インストラクターなんだとか。ちなみに自身で音楽制作会社も立ち上げるなどアクティブに活動しています。

佐藤愛子 ―1973年生まれ

乙女塾の3期生としてデビューした佐藤藍子。彼女も永作博美、松野有里巳と同じく『ribbon』のメンバーでした。ちなみに他の2人が乙女塾一期生なのに対し、彼女だけ3期生なのをご存知でしたか?1989年~1994年のユニット活動中は、実に13枚のシングルをリリース。活動休止後、彼女も他の二人同様女優業をメインにソロで活動していましたが、後に引退を決意。現在は既に結婚しており、完全に表舞台から姿を消しましたので、芸能界復帰はなさそうです。

小泉今日子 ―1966年生まれ

『花の82年組』と称されるアイドルの中でも、ライフスタイルやファッションに至るまで、その生きざまから支持を得ていたのが小泉今日子です。もちろん楽曲も次々とヒット。アイドルとして不動の人気を誇る彼女でしたが、女優としても実力を発揮。これまでに数多くのドラマや映画に出演しています。その演技力の高さから、アイドルというよりも「女優」のイメージが強い人の方が多いかも。最近では執筆したエッセイも注目を浴びているそうです。

菊池桃子 ―1968年生まれ

どんな役柄でも演じきってしまう名女優として有名な菊池桃子。現在でも昔の可愛らしさを十分残していますが、彼女ももちろんアイドル歌手としてデビューしました。デビュー直後から人気は爆発し、瞬く間にトップアイドルの地位を獲得します。数々のヒット曲を抱えながら、1989年以降女優業にシフト。最近でもNHKドラマ『エール』に出演するなど、実力は衰えるどころか輝きを増し続けています。また、子育てに関する教育活動も積極的に行っているようです。